前向き思考でゆるりと生きる。

人の振り見て我が振り直す。

大人になって分かった、幼少期の疑問の正体とは。

皆さん、幼少時代はどんな子供でしたか。

又、どんな幼少期を過ごしましたか。

 

子供の心って純粋で、世の中のことを何も知らなくて、「なんで?」「これってなに?」「大人にはどうしたらなれるの?」とか大人からしたら理解出来ないほどに想像力や好奇心が豊かで、物事の良し悪しもつかないのでなんでも信じてしまいますよね。

 

だから、正しい教育が必要ですし、色んなことを経験して大人になるので、親や教育者は子供の可能性を広げたり伸ばしたりしてあげなければなりません。

 

教育や子育ては一方的な献身に思えるかもしれませんが、

誰かが頑張らなくては、家族にとっても国にとっても明るい未来はありません。

代々受け継がれて、尽くしては恩返しを受けるといった仕組みでやってきたわけです。

 

現在の日本は少子高齢化が進んでいて、子供は間違った教育を受けたり、世の中の便利さや豊かさに肖って、間違った育ち方をしてしまうこともあります。

学生のいじめも自殺も昔より増えています。

 

さらに追い打ちをかけるようにCOVID19という悪魔が、のびのびと育つ子供にも堅苦しくも影響を受けています。

昨年度や今年生まれた新生児はコロナ世代と呼ばれるでしょうし、子育てをする親や教育者もより大変な現状になっていると思います。

 

私自身、すっかり大人になっていて、未だ独身で結婚する気も子供も欲しいという願望がないので、社会にとっては労働・納税義務を果たすこと意外では対して価値がないかもしれません。

 

ふと、子供のころを思い出すことも年を重ねるごとに少なくなっていますが、時々、学生時代の夢をみることがあります。正直、同級生の顔と名前は結構忘れています。

 

そんな中でも、子供のころって色んなこと思ったり・感じたり・疑問持ったりしていたなぁ・・・と考えることがあります。

振り返ると、唐突によくわからない質問や疑問を投げかけて親を困らせていました。

 

でも、親からしたらこれは大事なことと捉えるべきだと思います。

子供のこうした疑問や質問というのは好奇心そのものなのです。

大人になって、物事の良し悪しや好みがわかるようになって、何かしらのフィルターをかけてしまい、興味のないことや関わりのないことには何も見向きもしなくなります。

 

実際にどんなことを考えていたかを挙げてみようと思います。

・「この世って何だろう。宇宙はビッグバンによって生まれたけどその前には何があったの。人が生まれなかったらこの世界はどうなっているの。人間って何?」

・「踏切を渡らずに家に帰ることって出来るの?」

・「高校とか大学って言った方がいいの?」

・「宇宙科学者になりたい。」

・「この道を行くとどこに繋がっているの?」

・「線路にある石って誰がどうやって運んできたの?」

・「人が死ぬときってどんな感じで、死ぬとどうなるの?」

・「結婚すると自然に子供が宿る。」

・「何のために勉強するの?」

・「自分は勉強ができないが、やれば出来る。」 

・「他人は皆劣っていて、自分の方がえらい。」

とか、思い出すとまだまだあると思います。

自分が子供のころに興味を持っていたけど、今は興味がないことは、どうして興味をなくしてしまったのか。知らぬ間に忘れてしまっていますが、この好奇心が今も残っていたら毎日楽しいんじゃないかと考えることもあります。

 

逆に、子供のころに興味のなかったものの方が、大人になって興味を持っている気がします。

例えば、

「漫画好き」→「ほぼ活字だけの読書好き」

「アニメをよくみていた」→「ドラマをよくみる」

「アクション映画好き」→「ヒューマンドラマ映画が好き」

「サッカーをするのが好き」→「サッカーをみるのが好き」

「パソコンってよくわからない」→「パソコンを毎日触っていたい。」

「友達と遊ぶのが好き」→「一人でいるのが好き」

「服に興味ない」→「自分に合った服でおしゃれがしたい」

「勉強したくない」→「勉強したい」

「車に興味がない」→「色んな車を知りたい。運転したい。」

 「ゲームが好き」→「ゲームは時間の無駄遣い」

「休みは家でダラダラとテレビ見ながら寛ぎたい」→「やることを決めてメリハリつけて過ごしたい。」

でも、こうして挙げたものを考えてみると、何かしら経緯があってここに行き着いたのだと思います。大人になるほど、色んな人に出会い、いろんな経験をするので、価値観だったり考え方であったり、感じ方が変わってくるので当然かもしれません。

 

ここで、段々と大人になってわかったことも挙げてみます。

・「親はいつか死ぬ。自分もいつか死ぬ。」

・「社会に出て働かなくてはいけない。」(あるいはお金を稼ぐ。)

・「人生は自分で決めていかなくてはいけない。」

・「泣いていたって、落ち込んでいたって物事は好転しない。」

・「勉強しないと成長しない。」

・「ニート鬱病になっても誰も助けてはくれない。」

・「人は一人では生きられないが、誰もが孤独と向き合わなくてはいけない。」

・「物事には存在理由があり、価値は人が決めている。」

・「日本は平和だが、当たり前に送れている生活が海外ではそうではない。」

・「日本が世界ではなく、世界のほんの一部である。」

・「お金があっても買えないものや手に入らないものがある。」

・「お金だけあっても幸せにはなれない。」

・「人と他人は違う。」

・「時間は誰にでも公平に有限である。」

・「結婚して子供を生み育てるだけが人生ではない。」

・「何でも食べればいいというわけではない。」

・「偉い人や年長者が正しいとは限らない。」

・「同じことでも自分でやってみないと分からない。」

・「自分の感情・思考・感じ方・価値観は変えることが出来るが、本質的な性格は変わらない。」

・「人を見極められないと自分が損をする。」

・「辛いことも苦しいこともずっとは続かない。」

・「友人は勝手にできない。」

・「大人でも自然には敵わない。」

・「子供はコウノトリが運んでくることはなく、結婚したら自然にも出来ない。」

・「遊び倒すのは若い時にしかできない。」

・「若いころに学びや経験を色々しておかないと、将来が厳しくなる。」

・「自分は愚かで馬鹿、他人に比べれば。」

これも考えればまだまだありますね。

 

大人になると純粋さも段々と薄れてくるので、好奇心とは純粋さなのかなとか思ったりします。時々、子供のころに戻って無邪気に遊んでいたいなって思うことって誰でも一度はあるんじゃないでしょうか。

 

戻りたい過去も戻りたくない過去もありますが、総じて子供の頃って大抵のことが楽しいんですよね。

 

大人になると、知識だったり、経験だったり、頭(実際には脳)が成長するので、いつの間にか疑問が解消しているものです。あるいは無用な心配事だったと忘却処理もしているでしょう。

 

なので、幼少期の疑問というのは、知らぬが故に湧く自然な思考であるといえます。

 

自分の成長のために一度立ち止まって、自分を振り返ってみるとさらに成長出来るといわれるように、時々、卒業アルバムや写真などを見たりして、昔の自分を思い返してみてはどうでしょうか。