前向き思考でゆるりと生きる。

人の振り見て我が振り直す。

親切とお節介の境界線は?

「他人に親切をしなさい。

 そうするといつか自分にも親切が返ってきます。」

 

そう言われて、

と私はずっと「え、どういうこと?」と疑問を抱き続けてきました。

 

因果応報という言葉でも現わされますが、

中々実感出来ないもので、

果たして本当なのかは分からないものです。

 

宗教や占いも一緒で、

意識したり信じたりするといいものなのでしょうか。

 

私の両親は一応は仏教徒で、

お墓に遺骨を埋めてお経をお坊さんが読んで極楽浄土を願っています。

私自身は今のところ無宗教ですし、

死んだあとの遺骨や遺体は海にでも流してくれればいいと思っています。

健康な臓器であればドナー登録も承諾したいと考えています。

 

神様もいるとも思えません。

宗教は何かを奉ってお祈りするものですが、

アイドルというのも本来、

架空の存在として崇められる存在です。

 

占いも嘘八百だと思っています。

その証拠に、

占いというものが当たった試しがありません。

はなから信じていないのです。

メディアで有名に為るほどの占い師も、

外れることも多く、

当たるかもしれないから気をつけなさいよと言っているだけだと思っています。

 

統計学とか心理学の方が余程信用できます。

人の癖とか思い込みだとか、

科学や物理・論理で説明できるものこそ確かなものだと思います。

 

勿論、

妄信しているわけでもありません。

この世に100%の事象などないと考えるからです。

 

親切が親切を招き、

幸せが幸せを呼び、

空気感は伝染する。

 

これは何かしら因果関係で説明出来る誤解だと思うのです。

 

例えば、

・人が困ってあげたら相談に乗ったり力を貸してあげた場合、

 見返りを求めている人には、

 下心があるから返ってこないとか。

 

・自分が幸せを感じたりした体験や経験をSNSにあげたり、

 人に言いふらしているのは自分が幸せだと思い込んだり、

 他人からの称賛や羨望の声が欲しいとか。

 

・誰かが怒っていると周りにもピリピリとした空気が伝わったり、

 ネガティブな発言が周りにも伝染するだとか。

 

一つ目に挙げた例について考えると、

見返りを求めてしまうと、

した行為以上の良いことを期待してしまう為、

ささいな出来事には目もくれず、

気づき力より期待値が上回ってしまうからだと考えられます。

 

続いて2つ目の例について考えます。

「自分がこんな良いことがあったんだよ。

 羨ましいでしょ?」

と自慢をしたい心情だったり、

本当に幸せなのかを確かめたいという疑惑の解消。

周りと比べてしまう癖があり、

実は満足していない穴を埋めるための行動だといえます。

 

真に幸せを感じている人は周りと比べないですし、

人にどう思われようと気にせず吹聴することもしません。

 

自分の世界に籠っていて、

はたから見ると何をしているか分からず、

「大変そうだな。」

「何か辛いことがあったのだろう。」

みたいな憶測を抱く人もいるような行動をしていても、

本人からしたら極上の幸せを感じているかもしれません。

 

そんな人がわざわざ、

「いや、これは好きでやっているんです。」

「今、凄く楽しいんですよ。」

と周りに伝えますか。

という話です。

 

3つ目の例については、

上司や職場の誰か、

あるいは顧客がイライラしていて、

口調や態度にその様子が出ているという場面を想像してみましょう。

 

その様子を見ている周りの人はどう感じるのか。

「嫌だなー。」

「こっちだって怒りたいよ。」

という気持ちを抱く人もいるでしょうし、

「恋人や家族、パートナーと何かあったんだな。」

「別にどうでもいい。」

「あの人、怒るとあんな人になるんだな。」

「見てると面白いな。」

と、自分の感情や気持ちなどの意識をちゃんと棲み分け出来る人もいるわけです。

 

感情や気持ちが伝染するというのは、

集団意識からくる同調心理かもしれません。

あるいは、

周りに流されやすい人でしょう。

 

 

親切とお節介の境界ってあるのでしょうか。

 

親切をしたのに、

余計なお節介だと邪険に扱われた経験をした人って沢山いると思います。

これも又、

相手からお礼を言われるのが普通だという、

期待や思い込みから不快な気持ちになるのです。

 

挨拶をして返されないと嫌な気持ちになる人も同じです。

挨拶は自分のためにするものです。

相手が挨拶をしたから返さなければならないというのは、

マナーや常識としては当たり前ですが、

返さなければいけないこともありません。

 

そう考えると、

親切にすることは自分のためにすること。

したくなければする必要ありませんよね。

 

相手が不親切だなと思われても、

それはこちらからすれば余計なお節介です。

相手に期待している時点で間違っています。

 

 

私が考えた結論として、

 親切をすることは無償の思いやりをすること。

人の持つ ”他人の助けをしたいという良心を満たすこと”  こそが本当の意味での親切だと思います。

 

子育てをしていて、

子供からいちいちありがとうと言われたいとは思いませんよね。

 

だから、

親切を働いてたまにお礼が言われれば嬉しい。

その日はいい日だと思える。

そのぐらいの感覚で丁度いいのではないでしょうか。