前向き思考でゆるりと生きる。

人の振り見て我が振り直す。

自分探しで自分は見つけられるのか。

本当の自分って何だろう。

今の自分は本来の自分ではない。

自分を見失っている気がするので旅に出る。

 

はい。

そんなことをしてた皆さん、答えは見つかりましたか?

 

答えはおそらく「NO」ではないでしょうか。

「いやいや、そんなことはない。ちゃんと答えは出た。」

という人、元々答えは頭の中にはちゃんとあったはずです。

ただ、ぼんやりとしていてが自信がない。

 

散歩したり旅に出ることで気持ちが切り替わり、

歩いたりすることで血流が良くなり頭がスッキリとしたことから、

その答えに行き着いたといえそうです。

 

 

”自分探し”という漠然とした行動では、答えが見つかるはずがありません。

 

自分の姿を見る方法は自分自身には備わっていないのです。

 

鏡をみて語り掛けると返事が返ってきますか?

「鏡よ鏡、私の本当の姿を教えてください。」

見えるのは今そこにいるあなたの写像です。

 

 

生きる意味について考えてみると、

・生物学的には「子孫繁栄」のため。

・社会的には「人との関わり」を持つこと。

・経済的には「お金を回す」こと。

 

個人としてみた場合はとくに生きる意味はないのです。

つまり自分が生きる目的はなんでもいいわけです。

 

自分探しなんかしている暇があれば、

好きなことでもしまくって楽しい時間を過ごしたり、

社会や人のために為になることを率先して行ったり、

疲れているなら休む方が大事だと思います。

 

自分のことを自分で追っかけても、

犬が自分の尻尾を追い掛け回すのと同じです。

 

 

じゃあなんで自分探しなんてしたくなるのか。

 

この問題は心や精神的な部分にあります。

・落ち込んでいる。

・目的を見失ってる。

・何をやってもうまくいかない低迷期。

・漠然とした不安

・ネガティブ思考に振り回されている。

・将来の選択肢が多すぎて決められない。

・他人から否定された。

・大切なものを忘れたり失ってしまった。

こういった問題が関係しているのではないかと考えられます。

 

色んなことを同時に考えたりしていると脳機能が低下し、

思考停止に等しい状態になっている可能性があります。

 

なので、

思考の整理をする必要があります。

やってみると良い方法は、

①考えていることを書き出してみる。

②気持ちを書き出してみる。

③意思や目的を探してみる。

④瞑想をして頭をリセットしてみる。

⑤悩むのをやめてとにかく気の向くままに行動してみる。

⑥書店に立ち寄る。(書店巡りもおすすめ)

⑦とにかく人に会う。(会いたくない人は除外)

⑧集中・没頭することに打ち込む。

⑨三大欲求をまずは満たす。

⑩整理整頓や掃除をする。

 

色んなメンタル本やら自己啓発の情報などで、

おそらく書かれているであろう内容ばかりですが、

一番いけないのは”孤独に突き進む”ことです。

 

 

私自身は一匹狼タイプなのですが、

落ち込んだり自分を見失いそうになることはありますが、

これらの方法を色々やっているうちに不安や悩みは和らいでいきます。

 

またその予防策として、

「嫌なことはすぐに忘れることに意識を向ける」ことです。

 

これには根拠があって、

脳はネガティブ思考の癖があり、また忘却するのが仕事なのです。

また、感情と結びついた経験は記憶の定着が強くなります。

 

そして一番大事なことは、

嫌なことを反芻していると脳が重要度が高いと思い込み、

いつまでも記憶にとどめようとするのです。

 

例えば、

試験が終わったときにあれが出来なかった、あの問題もわからなかった。

と嘆いているよりも済んだことは変えられない。

そう考えて気持ちをすぐに切り替えることです。

 

又、仕事で失敗したとしても

その日だけはしっかりと反省して振り返る。

そして寝たらもう忘れるようにする。

 

ただ、

悔しい気持ちや次につながる感情が絡まったケースでは、

次に頑張る肥やしになるので覚えておくといいこともあります。

 

過去の経験から、

また嫌で嫌で仕方がないことはさっさと忘れてしまうように意識します。

忘れろ、忘れろ!と思っていると逆に忘れられなくなるので、

「まあいっか。」「もうどうでもいい。」「過去のことは過去。」

などと楽観的に捉えていきましょう。

 

 

自分探しの意味は人によって違うかもしれませんが、

私は無駄なことだと考えています。

 

「自分探し」というフィルターで行動していると、何も楽しめないと思います。

生で見ていて感動するものを、ずっとスマホ画面越しに見ているのと同じです。

 

何かに身構えたりせず、

ありのままで生きていく方が気持ちはずっと楽ではないでしょうか。

バカはバカ、デブはデブでも言えない空気感

人に悪口を言うことは良くないこと。

 

世間では一般にそういう認識で通っています。

なぜなら人を傷つける恐れがあるからです。

 

言った言葉が悪口かどうかというのは、

そもそも受け手の感じ方次第ともいえるのではないかと思います。

 

例えば、

「あなたは太っていますね。」

といった場合と、

「あなたはデブですね。」

この両者では言っていることは同じことです。

 

ですが、

デブというのは差別用語であるとされており、

身内以外でデブと言ってしまうのは失礼で侮辱になります。

 

では、

「太っていますね。」

というのはどうでしょうか。

 

言われた側はこの2手に分かれるのではないでしょうか。

1つ目は「はい、太ってます。」

2つ目は「余計なお世話です。」

 

答え方は色々とあるでしょうけど、

肯定的に捉えるのか反発的あるいは否定的に捉えるかのどちらかでしょう。

 

 

言葉というのは正しく使ってこその意味を成すもの。

なので意味を調べてみます。

 

まず”デブ”について

Goo辞書によると、

「太っていること。そのさま。」

 

そして「太っている」というのは状態を表していて名詞ではない為、

”太い”で調べてみます。

  1.  棒状のものの径が大きい。周囲が大きい。また、肢体などに肉や脂肪がついている。

  1.  線状のものの幅が大きい。

  1.  声量が豊かである。また、低く重々しい声である。

  1.  大胆である。また、落ち着いている。

  1.  横着である。ずうずうしい。

  1.  物事の規模が大きい。勢いが盛んである。

 

「太い」の対義語は「細い」です。

この意味で言うと、

何か比較対象があっての「太い」にあたるといえます。

 

つまり、「あなたは周りと比べて太っていますね。」

ということになります。

 

太っている人しかいない環境でいえば、

いわゆる「小太り」にあたる人は、

「細い」あるいは「太っていない」とされます。

 

 

ですがこれは客観的な事実だと言っていいのではないしょうか。

この2つの言葉はどちらも「太っている」という客観的事実を表す言葉です。

 

つまり、

「デブ」「太っている」と言っても本来は、

間違っていないのです。

 

ですが、

一定数の不快に思う人がいるという点で問題なのです。

 

逆に言えば、

不快には思わない人は自ら太っている自覚をしているということです。

このタイプの人は自身のことをよく理解している人です。

なので「太っている」と伝えても侮辱や差別にはなりませんから、

「どうしてそんなに太ってしまったのですか?」

「太っていると日常で困ることないの?」

と普通の会話として利用してもOKなわけです。

 

ただ、

当然ながら執拗に言い続けるのは嫌味となりますので、

やめましょう。

 

 

「バカ」という場合も同様です。

「バカ」であるという客観的事実として認識している人に対しては、

「バカ」だと言っても特に問題はないのです。

 

しかし「バカ」「デブ」に対してコンプレックスを持っている人や、

そういった事実を受け入れられない人、

認めない頑固者なんかは言われると気分を害します。

 

 

これはハラスメントと似ています。

 

ハラスメントの大きな肝となるのは、

相手(受け手)が不快に感じるかどうかという点が、

とても大きなポイントになります。

 

”セクハラ” ”パワハラ” ”マタハラ” 

色々ありますが、

日本人は忖度の文化が根強い社会を作っています。

相手の立場を思いやることのできる種族です。

空気感を機敏に察し、

物事の判断や言動に気を遣います。

 

 

これは言ってみれば、

感情論ともとれるんですよね。

論理的に考えれば、

「バカ」には「バカ」、

「デブ」には「デブ」、

と言ったってただ事実を言っているだけなので問題ないはずなんです。

 

 

私自身でいえば、

私は「バカ」なので「バカ」と言われても、

「はい、そうですよ。」

と言いたいところですが、

どこかムカッとしてしまう部分があるのです。

 

繊細で細かいところがある性格なので、

「バカ」って自分のどういうところが「バカ」なのか分からない。

何に対して言っているのか分からないけど、

誹謗中傷に聞こえてしまうから嫌なのかもしれません。

 

「お前はこういうところ頭固いよな」

とか

「これが出来ないのは頭が悪いよ。」

みたいな感じなら納得できます。

 

 

コミュニケーションが豊かでお互い何でも言い合える関係性が出来ていれば、

事実をどれだけ言って相手が不快に思おうとも、

相手の理解を得たり、

自分の主張を分ってもらうまで言い合うことで良い関係性が保てるはずで、

むしろより深い関係が築けると思うのです。

 

日本人は他人を恐れての空気感を読もうとしすぎな気がします。

とくにビジネス上ではそうでしょう。

言いたくても言えない空気感こそが、

日本人が苦手意識を抱いてしまう大きな問題だと思います。

 

せめて、

身近な人に対してだけでも言いたいことは互いに言い合えるように、

関係構築をしていきたいものです。

タイトルに惑わされない為にはどうしたらいいのか。

新聞や雑誌の見出しや本のタイトルに衝撃を受け、

なんとなく買ってしまったり、

これは信用できるし自分を高めてくれそうだ。

 

などと気分が高揚し、

手に入れた途端、

「私は飛躍できた。」

と思い込むことはないでしょうか。

 

私自身、

元々は周りに流されやすい性質を持っていて、

衝動買いや言葉のマジックに惑わされることが多いです。

 

ここ最近になってようやくそんな自分から脱却しつつあります。

(これも思い込みかもしれないとは思いつつ。)

 

どうしているのかというと、

物事の本質を見抜くように考え、

1つの目線や視点から判断をしないようにしています。

 

欲しいものを見つけても、

・本当に必要なのか

・今買わないと損をするかどうか

・中身の薄い商品ではないか

・自己投資になるかどうか

・心が動かされたものか

・一旦頭をリセットしてからもう一度購入を考え直す

といった工夫をしています。

 

これらの意識づけや行動により、

以外と無駄な買い物は減りました。

 

ただ、後悔しないかどうかとか深く考え込んでしまうぐらいなら、

シンプルに欲しいという直感を頼ってしまう事もあります。

 

以前ブログで紹介した

『考えすぎない人の考え方』

の内容でもよく考えてから購入するよりも、

限られた時間内で選択を決めた方がよい判断である確率の方が高い。

という実験結果が書かれていました。

 

シンプル思考って、

情報が少ない分、

脳が余計なことを考えていないので、

瞬時に正しい判断をした良い結果であるともいえるんですね。

 

 

活字というのは、

客観的事実といった情報を100%伝えることはできない側面を持っており、

どういう意図や意味を含み、

筆者の心情は正しくはわからないのです。

 

これを上手く活用しているのがマーケターといわれる仕事です。

売れるための売り文句”キャッチコピー”です。

 

なので、

本や記事、動画のタイトル、

CMや広告、宣伝アナウンスなどの文章や言葉には、

購買意欲や興味を惹かれる魔法がかかっています。

 

「バイアス」と呼ばれる、

人が持つ”思い込み”の性質を利用しているのです。

 

例えば、

「〇〇力」「○○する力」「人は○○が9割」「○○大全」「○○になる10の習慣」

「○○法」「○○は間違い」「○○術」「○○論」「○○学」

「医者が教える○○」「~の専門家による○○」

といった具合に書かれたタイトルです。

 

こういったタイトルや見出しに惹かれるのはなぜでしょうか。

 

1つは、「安心感」です。

「医者が教える○○」「~の専門家による○○」

「○○術」「○○学」「○○論」「○○法」といった文面。

権威ある人やその分野のプロが言うなら間違いないだろうという思い込みから、

失敗や間違いのリスクが少ないと判断してしまうのです。

 

2つ目は「説得力」です。

数字の入った文面。

人は数値を見ると、誰もが共通した認識を持ちます。

具体的なデータであったり、

9割の人が上手くいっているなどと、

根拠も乏しい数値であっても、

「うん、なるほど。」

と頷いてしまうのです。

 

3つ目は「勘違い」です。

「○○力」とか「○○大全」「○○は間違い」といった文面。

これはよくも悪くも思い込みに騙されています。

自分に足りない部分を補いたいという心理を利用されています。

でも実際、

読んだからといってその力が得られるわけではなく、

全く期待とは裏腹のノウハウ本であるかもしれません。

勿論、

中には内容も濃く、

エビデンスもしっかりとしている良本もあります。

タイトルは酷いものだけど、

中身はとてもタメになる内容の本もあります。

 

 

これについての対策を考えてみます。

1つ目の「安心感」については、

本当に安心して読めるかどうかは著者について調べてみる必要があります。

どの分野のどの専門家なのか、

どういった実績があるのか。

そして「造語」ではないか。

つまり「〇〇学」「○○術」「○○論」は著者だけの自論かもしれません。

 

2つ目の「説得力」については、

9割などと書いてあったとしても、

あなたにとって9割の成功率や変化が起きるわけではない。

ということを自覚するべきです。

また、〇〇する100の方法とか、○○10の習慣といったキリのいい数字にも、

「100個もあったらどれか役に立つだろう。」

ではなく、

「100個も書かれていたら1つ1つの内容が薄く、

 ありきたりな方法ばかり列挙されているのではないか。」

などと疑ってかかります。

 

購入前にしっかりと内容を確認しておくことをおすすめします。

根拠もなく、

又抽象的で役に立たない内容であることもあります。

 

3つ目については、

「○○大全」は一見、

すべてのノウハウや知識が詰まった辞書のような印象を受けますが、

手に取って中身を確認してみてください。

中身が薄く、

冗長的な文章や表現をしていて逆に頭に入ってこなかったりしませんか。

 

「○○は間違い」という本もよく見かけます。

その答えを知ろうと中身を見ると、

どこに答えが書いてあるか分からなかったり、

該当ページなどを読んでもしっかりとした答えがなかったりします。

しかも、

データによる説得力が乏しく、

主張が本当に正しいのか懐疑的になってしまうこともあり、

結局よく分からないまま読み切ってしまうかもしれません。

 

物事を知るには特定の部分だけではなく、

関連する全体像も把握・理解する必要があります。

枝葉末節の本ではないか判断が必要です。

 

 

タイトルに惑わされないためにはどうしたらいいのか。

①中身を必ず確認する。

②著者を調べる。

エビデンスや具体性がしっかりとしているか。

④タイトルの印象による色眼鏡で中身を見ていないか。

”あなたにとって”良い本であるか。

 

この5つのチェック項目を意識することで、

思い込みによる衝動買いや惑わされることは大分減るのではないでしょうか。

タイトルから「その本を最も著表す一語」を探ってみるといいと思います。

アナログライブvsデジタルライブ

最近ではコロナ渦により、

デジタルデバイスで動画や映像として、

コンテンツを楽しむことが多くなりました。

 

・音楽ライブ

・演劇

・コンサート

・フェスティバル

・イベント

 

これらは完全になくなったものばかりではなく、

規模を縮小したり、

人数制限をかけたりして対応していることもあります。

 

今後の展開として、

デジタル配信は加速していくと思われます。

 

 

デジタル化することは、

効率的・生産的・情報流通に優れているといった様々な利点がありますが、

人の感情を揺さぶる精神面ではリアリティには欠けるため、

生ライブを通じて得る情報量でも、

あるいはその対象から感じ取るものは全く違ってきます。

 

例えば、

アーティストのCDやデジタル配信で音を聞いたときと、

ライブやコンサートに行って生の音を聞いてみると印象が違う。

といったことはないでしょうか。

 

他にも、ライブ映像をDVDや有料の限定配信などで観たけど、

やっぱり生のライブがいい。

画面越しでは臨場感もないし空気感がわからないので楽しめない。

 

そんな熱狂的な人たちばかりではなく、

普通のファンやお客さんでもそう感じるはずです。

 

それもそのはずで、

五感が感じ取る情報というのはとても大きいものです。

 

基本的にデジタル配信で得られるものは、

「特定箇所からの音」と「2Dスクリーンから見る視覚情報」、

そして、今いる環境から体感で得る空気感です。

 

見聞きしている情報と生活音やいつもの背景が入り混じる空気感が、

大きなギャップをもたらしているのです。

 

これを休息しながら楽しむことが出来るか否かにかかっているといっていいでしょう。

 

本来では、

ライブ会場などにいることで、

集中して楽しむための音響システムだったり、

飾り付けだったり、

同じ目的で集まる仲間たちであったり、

一番大きな本人が目の前にいるという現実といった状況です。

 

AI技術が発展している現代において、

スクリーン越しに移っている人物が本物かどうかが、

下手をすれば分からないかもしれません。

 

対話型であれば、

繋がっていると実感がわくので多少は本物である真偽は掴めるでしょう。

 

でも、

仮にただ流れているものを見ているだけであるならば、

すでに撮られた映像を流しているかもしれないのです。

 

生か録画かも断言できず、

本人の目の前にいて見つめることも出来ず、

臨場感や特別感を抱くことも叶わず、

まして一緒に楽しむ大勢の人もいない。

 

そんな環境や状況で真にライブを楽しめるかと考えると疑問です。

 

・映画は映画館がいいという人と家でもいても映画は映画だという人

・生でも映像でも同じという人

・自由な姿勢で寛いでみたい人

・身内や仲間と一緒に盛り上がって楽しみたいという人

 

お客さんには多種多様な楽しみ方がありますし、

全員が同じではないのも当然ですが、

デジタル化が加速していく中でも、

生でみることを大切にしている人も多くいるという現状から

画面越しにしかいない役者にはならないで欲しいと願っています。

 

 

マーケティングなんかだと商品パッケージなんかというと思いますが、

あるサービスを提供する際、

大事なのは付加価値です。

 

・歌を歌います。

・踊りを披露します。

・パフォーマンスを見てください。

・面白い話をします。

・芸術品を楽しんでください。

・演劇をします。

 

これらはメインコンテンツですが、

これだけではお客は「ほぉー。」「へぇー。」「ははー。」

と少し声を漏らしたり、

終わったら拍手をして終わりだと思います。

次にもまた来たいという気持ちになるかと考えると、

はまる人はおそらく少数でしょう。

 

メインコンテンツをさらに盛り上げるために大事なことは、

「会場設定であったり衣装や飾りつけをする。」

「合間にトークを入れる。」

あるいは、

「お客参加型にする。」

「そのライブならではのコンテンツを入れる。」

「限定グッズを販売」

「ゲストを入れる。」

「事後アンケートでプレゼント配布」

なんかの工夫を施すことで魅力が倍増します。

 

話が少し逸れたかもしれませんが、

生のライブに勝る魅力がデジタル配信になければ、

今後のファンの増加どころか減少に至るのではないかと考えます。

 

以前に電子本と紙の本の話を書きましたが、

どちらにもユーザーにとって良い点があって、

尚且つどちらのサービスも現存している。

ライブに関して言えばそんな時代になって欲しいなと思います。

 

 

 

 

 

人に正しく伝えるのは難しい。

ほうれん草って栄養価が高いです…

 

 

そのホウレンソウではなく、報連相についてです。

「報告」「連絡」「相談」という仕事の基本中の基本のことです。

 

それぞれの意味をgoo国語辞書で調べました。

「報告」

告げ知らせること。特に、ある任務を与えられた者が、その経過や結果などを述べること。また、その内容。「出張の報告」「事件の顛末 (てんまつ) を報告する」「研究の中間報告」

「連絡」

  1.  関連があること。「一見何の―もない二つの事件」

  1.  気持ちや考えなどを知らせること。情報などを互いに知らせること。また、その通知。「―をとる」「本部に―する」

  1.  二つの地点が互いに通じていること。また、異なる交通機関が一地点で接続していること。「私鉄と―する駅」「―橋」

「相談」

問題の解決のために話し合ったり、他人の意見を聞いたりすること。また、その話し合い。「相談がまとまる」「相談に乗る」「友人に相談する」「身の上相談」

 

といった意味のようです。

 

共通点は何でしょうか?

 

共通点は、

「相手や対象に物事を伝えることです。」

 

よくある誤解や問題で、

・伝えたつもり

・伝わっていない。

・何を伝えているのかわからない。

・聞いていない。

・そんなことは言っていない。

・誤解である。

・(「報告」「連絡」「相談」)が足りない。

といったことですね。

 

当たり前なことなのに出来ていないというのは、

”伝え方が間違っている”可能性が高いです。

 

私もコミュ力が低い方なので、

仕事上でのやりとりで誤解を生んだり、

連携不足という失敗を招くことがあります。

 

よくよく考えてみれば、

この報連相が上手く出来ていないのだと気づきました。

 

「伝え方」というのはあらゆることで大切で、

これがうまくいかないことでトラブルを招いたり、

人間関係にも悪影響を及ぼします。

 

 

右を向いてと相手に言った場合、

相手はあなたの思う右を向くでしょうか。

 

大抵の場合、

言われた相手の右手側を向くでしょう。

 

ですが、

あなたからみて右だと伝えたかった場合、

反対を向いてしまう事になります。

 

電話で伝えた場合、

Aさん「右の方に〇〇があるよ。」

Bさん「え、右ってどっち?」

Aさん「右だよ右。」

Bさん「え、こっち?」

Aさん「右だってば。」

Bさん「わかんないよ。何がある方?」

Aさん「でっかい看板がある方だよ。」

Bさん「でっかい看板…あ、これね。」

 

こんな会話無駄ですよね。

 

Bさんの立場になって、

「そっちからみて右手にある看板の隣に〇〇があるよ。」

という一言ですぐに終わるのです。

 

 

どう伝えるのかという今回のテーマですが、

先ほども言った通り、

相手や対象がいることが前提になります。

 

まず、

話し手(発信者)は”どう伝えるのか”

How?という視点で考えてみます。

 

What? 何で伝えるのか良いだろうか。

①言葉か文字か

②電話かFAXか、アナウンスか、直接か。

③説明した方がいいのか、まず見てもらうのがいいか

④必要な情報だけをまとめて伝えたらいいか。ありのままを伝えたらいいか。

 

 

When? いつ伝えるのが良いだろう。

①緊急だろうか。

②後でいいだろうか。

③いつまでに伝えればいいだろうか。

 

・Who? 誰に伝えたらいいだろうか。

①関係する人にだけでいいか。

②関係のない人にも伝えるべきか。

 

・Where? どこで伝えたらいいか。

①内密な話ではないか。

②プライバシーの配慮はいるのか。

③一度に伝えられる環境か。

④ゆっくりと話が出来る場所か。

 

・Why? そもそもなぜ伝える必要があるのか。

①伝える目的をはっきりとさせる。

②伝えなかった場合の結果を考える。

③大事な点をまとめる。

 

こんな感じで、

正しく伝えるためには様々な視点から考える必要があります。

 

 

伝言ゲームという遊びをしたことがあるでしょうか。

背中に書いて教える方ではなく、長文などを次の人に伝えていく方です。

 

なぜこのゲームは次々と答えが変わっていくのでしょうか。

 

それは、”ありのままを伝えていないから”です。

 

長い文章だと途中で省略したり、

要約をしてしまったりするので、

表現方法が変わることでその人の持つ印象の違いからズレが生じてしまうのです。

 

この伝言ゲームから学べることは、

個人の主観は入れず、ありのままを伝えるべきということです。

 

また、伝え方ですが、

抽象的であるほど相手は考えなくてはいけません。

 

指示語といった代名詞や、

形容詞を多く使った表現は相手を誤解させてしまうリスクがあります。

 

例えば、

対象物が大きいと表現した場合、

受け手によってはそれは大きくないと判断してしまうかもしれません。

細長いと表現した対象物も、

人によっては細くないと捉える人もいるでしょう。

 

~みたいなとか、

あれが相当な○○で、

とかそういった表現も相手には伝わりづらいですね。

 

なので、

大事なことは、

”出来るだけ具体的で客観的な事実”

を伝えることです。

 

 

人は大抵、

「思い込み」を引き起こします。

これは無意識な脳の特性なので根本的に変えられるものではありません。

 

ですが、

自分の思い込みを把握することで思い込みを修正できます。

 

 

ということで、

皆さんも「報連相は伝え方が大事」だと思い返してみませんか。

 

 

ほうれん草を食べると頭が働き、

疲労回復しますよ。

 

今夜はほうれん草のお浸しだ。

コロナウイルスがもたらした世界と今後はどうなるのか。

コロナウイルスが発生して1年以上が経ちました。

 

初めは「コロナウイルスって何?」ぐらいの認識がありましたが、

感染力がとても強いことと、

重症化すると死亡するケースが出てきて、

とくに高齢者を中心に多く発症しました。

 

発症者のデータから紐解いて、

基礎疾患のある方が重症化しやすいことが分かり、

若者で元気な人には感染しても無症状であることが多いことも分かりました。

 

ウイルスというのは人類が昔からずっと戦ってきた相手です。

欧州で大流行したペストやスペイン風邪天然痘など、

日本でもインフルエンザやノロウイルスという脅威が身近に存在してます。

 

ウイルス抗体が免疫機能として働いていれば、

発症は抑えることが出来ますが、

免疫力の低下している状態ではやはり発症してしまいます。

 

インフルエンザの予防接種を毎年受けている方も多いと思いますが、

毎年受けるのは、

ウイルスが変異しているからです。

 

今回のコロナウイルスも変異スピードも驚異的です。

イギリス株と言われる変異型、

インド株と言われる変異型が日本でも蔓延し始め、

さらに感染力が強く、

感染者数が激増しています。

 

自粛とリモートワークでは抑えきれていないのでしょう。

接触感染と飛沫感染が主ですから、

マスクと手洗い、

そしてアルコール消毒。

3密を避けてよく換気をする。

もっと徹底的にやればゼロに近い数値にはなるでしょう。

 

しかし、

人の免疫機能にコロナ抗体が出来るためには、

①コロナ感染する。

②ワクチンを打つ。

この2つしかないわけです。

 

一番身近なインフルエンザウイルスをみるとわかりますが、

ウイルスが完全に自然界から消えるという事はありません。

なので、

人が免疫を作る以外に乗り越える手段や方法がありません。

 

かといって、

じゃあどんどん感染して免疫作ればいいじゃん。

というわけにもいきません。

 

感染力が強いという事は、

感染者はネズミ算式に増えるという事です。

ということは、

母数が増えることで重症者・重篤者が増えるという事です。

 

重症化率でいえば数%なのですが、

同じ健康状態の人ばかりではないので、

たかがか数%とは侮れません。

 

感染力が強いというのは本当に恐ろしいです。

 

現在はワクチン接種がすすんでいて、

2回打つ必要がありますが、

漸く明るい未来への先が見通せる段階にきたのではないでしょうか。

 

現時点で世界のワクチン接種率は約1割だそうです。

6割の人がワクチン接種などで抗体を持てば安全ラインともいわれたりしますが、

まだまだ課題があります。

 

・2回目のワクチンでどのぐらい免疫が続くのか。

・変異型にはどれだけ有効なのか。

・さらなる変異株の登場でどれだけの感染者が増えるのか。

・経済も含めた社会的機能は今後はどのような対応になるのか。

 

手探りな状態が続いてはいきますが、

リモートワークや人3密は防いでいくという姿勢は変わらないという説があり、

どうやらコロナ以前とは同じ生活には当分戻れそうにありません。

 

失業者も増えていますし、

経済をどう回していくかがはっきりしないことには、

企業側も人を雇ったりすることにも慎重になります。

 

絶対に必要なインフラ、行政、生活必需品、金融、エネルギー、不動産、医療・福祉、教育等の分野はIT化、IoT化などによりデジタル化が急務です。

 

今回のコロナ渦により、

日本のデジタル化が全然すすんでいないことが浮き彫りになりました。

先進国ながら、

デジタル後進国といわれるほどです。

今後の日本はおそらく、

IT分野に力を注ぎ発展していくことは間違いないでしょう。

 

なので今すべきことは、

ITに関する知識や技術を少しでも身に着けておくことです。

 

WordやExcel、PowePoint、メールが使えるだけでなく、

タイピングやネット検索、

SNSの活用などは当然のことながら、

プログラミングやマーケティング

ライティングのスキルも必要になると考えられます。

 

情報を発信する力とか、

正しい情報収集をする力とか、

見えない相手とのコミュニケーション能力も大事となりますね。

 

しかし、

元々パソコンを使うのが得意ではなかった私から言わせると、

急にこれらの知識や技術は身に付きません。

何年もかけて漸くパソコン作業に慣れたといっていいぐらいです。

苦手意識のある方は今から少しずつ慣れておくことをお勧めします。

 

 

コロナ渦で家にいることが多くなって、

色々な面を考えるとどうも悪いことばかりでもないと感じています。

 

内向的な人にとって、

・アフターファイブの付き合いがない。

・人とわざわざ会わなくていい。

・外に出なくていい。

・出かけても人混みが殆どない。

・なるべく家にいていい。

・自分の時間が増えている。

といった大きな利点があります。

 

私も内向的なタイプなので、

籠り生活もむしろ快適です。

もともと人と会うと疲れやすいタイプなので、

仕事は対人業務な自分からするとプライベートは一人でいたいのです。

 

自分の好きなことをしていられる時間も増えていて、

読書や映画を楽しんだり、

ラジオや音楽を聴きながら料理をして食事をすることが出来ています。

家トレも捗っています。

 

外出してはダメとか思うと気が滅入りますが、

家で好きに過ごしていいんだと、

なんだかゆっくりと休める時間をくれていると思うと気が楽になりませんか。

 

幸い日本では、

散歩とかウォーキングとか、

外に出歩くこと自体は禁止されていません。

密集しなければ外で人と会うこともできます。

 

免疫学の分野でいうと、

マイナスなネガティブ思考でいると、

精神面での落ち込みから免疫機能も下がることが知られています。

なので、

嫌な方でばかり捉えるのではなく、

現状を受け入れながら良い方向へ生かすことを考えていきましょう。

どう足掻いたって人は大自然には敵わないのですから。

親切とお節介の境界線は?

「他人に親切をしなさい。

 そうするといつか自分にも親切が返ってきます。」

 

そう言われて、

と私はずっと「え、どういうこと?」と疑問を抱き続けてきました。

 

因果応報という言葉でも現わされますが、

中々実感出来ないもので、

果たして本当なのかは分からないものです。

 

宗教や占いも一緒で、

意識したり信じたりするといいものなのでしょうか。

 

私の両親は一応は仏教徒で、

お墓に遺骨を埋めてお経をお坊さんが読んで極楽浄土を願っています。

私自身は今のところ無宗教ですし、

死んだあとの遺骨や遺体は海にでも流してくれればいいと思っています。

健康な臓器であればドナー登録も承諾したいと考えています。

 

神様もいるとも思えません。

宗教は何かを奉ってお祈りするものですが、

アイドルというのも本来、

架空の存在として崇められる存在です。

 

占いも嘘八百だと思っています。

その証拠に、

占いというものが当たった試しがありません。

はなから信じていないのです。

メディアで有名に為るほどの占い師も、

外れることも多く、

当たるかもしれないから気をつけなさいよと言っているだけだと思っています。

 

統計学とか心理学の方が余程信用できます。

人の癖とか思い込みだとか、

科学や物理・論理で説明できるものこそ確かなものだと思います。

 

勿論、

妄信しているわけでもありません。

この世に100%の事象などないと考えるからです。

 

親切が親切を招き、

幸せが幸せを呼び、

空気感は伝染する。

 

これは何かしら因果関係で説明出来る誤解だと思うのです。

 

例えば、

・人が困ってあげたら相談に乗ったり力を貸してあげた場合、

 見返りを求めている人には、

 下心があるから返ってこないとか。

 

・自分が幸せを感じたりした体験や経験をSNSにあげたり、

 人に言いふらしているのは自分が幸せだと思い込んだり、

 他人からの称賛や羨望の声が欲しいとか。

 

・誰かが怒っていると周りにもピリピリとした空気が伝わったり、

 ネガティブな発言が周りにも伝染するだとか。

 

一つ目に挙げた例について考えると、

見返りを求めてしまうと、

した行為以上の良いことを期待してしまう為、

ささいな出来事には目もくれず、

気づき力より期待値が上回ってしまうからだと考えられます。

 

続いて2つ目の例について考えます。

「自分がこんな良いことがあったんだよ。

 羨ましいでしょ?」

と自慢をしたい心情だったり、

本当に幸せなのかを確かめたいという疑惑の解消。

周りと比べてしまう癖があり、

実は満足していない穴を埋めるための行動だといえます。

 

真に幸せを感じている人は周りと比べないですし、

人にどう思われようと気にせず吹聴することもしません。

 

自分の世界に籠っていて、

はたから見ると何をしているか分からず、

「大変そうだな。」

「何か辛いことがあったのだろう。」

みたいな憶測を抱く人もいるような行動をしていても、

本人からしたら極上の幸せを感じているかもしれません。

 

そんな人がわざわざ、

「いや、これは好きでやっているんです。」

「今、凄く楽しいんですよ。」

と周りに伝えますか。

という話です。

 

3つ目の例については、

上司や職場の誰か、

あるいは顧客がイライラしていて、

口調や態度にその様子が出ているという場面を想像してみましょう。

 

その様子を見ている周りの人はどう感じるのか。

「嫌だなー。」

「こっちだって怒りたいよ。」

という気持ちを抱く人もいるでしょうし、

「恋人や家族、パートナーと何かあったんだな。」

「別にどうでもいい。」

「あの人、怒るとあんな人になるんだな。」

「見てると面白いな。」

と、自分の感情や気持ちなどの意識をちゃんと棲み分け出来る人もいるわけです。

 

感情や気持ちが伝染するというのは、

集団意識からくる同調心理かもしれません。

あるいは、

周りに流されやすい人でしょう。

 

 

親切とお節介の境界ってあるのでしょうか。

 

親切をしたのに、

余計なお節介だと邪険に扱われた経験をした人って沢山いると思います。

これも又、

相手からお礼を言われるのが普通だという、

期待や思い込みから不快な気持ちになるのです。

 

挨拶をして返されないと嫌な気持ちになる人も同じです。

挨拶は自分のためにするものです。

相手が挨拶をしたから返さなければならないというのは、

マナーや常識としては当たり前ですが、

返さなければいけないこともありません。

 

そう考えると、

親切にすることは自分のためにすること。

したくなければする必要ありませんよね。

 

相手が不親切だなと思われても、

それはこちらからすれば余計なお節介です。

相手に期待している時点で間違っています。

 

 

私が考えた結論として、

 親切をすることは無償の思いやりをすること。

人の持つ ”他人の助けをしたいという良心を満たすこと”  こそが本当の意味での親切だと思います。

 

子育てをしていて、

子供からいちいちありがとうと言われたいとは思いませんよね。

 

だから、

親切を働いてたまにお礼が言われれば嬉しい。

その日はいい日だと思える。

そのぐらいの感覚で丁度いいのではないでしょうか。